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創立からの歴史

第一建築サービスの誕生

昭和33年、親会社である「第一建築サービス株式会社」が大阪に誕生しました。 その後、北は北海道より南は沖縄、中国を中心とした東南アジアの国々まで広がりました。

平成20年10月、第一建築サービス株式会社は50周年を迎え、この節目にあたり、会社名を「株式会社ダイケングループ」に変更し、本社を東京に移転致しました。

沖縄ダイケンの誕生

創立趣意書(抜粋)

この新法人はその全てを挙げて、沖縄繁栄のためによりよき奉仕をさせて頂くことを念願とするもので、当地における当該業務の技術水準の向上、優良な技能者の養成、合理的機能的な運営組織を作り上げることを責務とする。

同じ働き人として汗と情熱を傾注して、真の沖縄新生のための捨て石となる。

沖縄ダイケンは、この創立趣意書にしめされた方針に基づき、昭和47年の創立から現在まで、精進しております。

私達の歩み

1972(昭和47)年 11月 沖縄県首里にある尚家の桃原農園にて、仏桑花の会(井伊文子会長)の発足に伴い、丸橋社長以下十名の社員による”行願”(トイレ掃除)を行いました。 丸橋社長と社員、桃原農園にて記念撮影
12月 那覇市泊に株式会社ダイケンサービス沖縄営業所開設
1973(昭和48)年 1月 株式会社沖縄ダイケン創立 創立時、社長と社員で壁に社是を掲げている写真
8月 沖縄グランドキャッスル(現ダブルツリー by ヒルトン那覇首里城)総合管理業務(清掃・設備・警備・客室管理)開始
1977(昭和52)年 2月 住友生命那覇ビルに本社事務所を移す 住友生命那覇ビルの外観
1980(昭和55)年 11月 八重山支店開設 八重山支店開設を祝う様子
1985(昭和60)年 8月 北部営業所開設
1994(平成6)年 5月 浦添営業所事務所移転 浦添営業所に集まって席についている写真
2000(平成12)年 4月 久米島営業所開設
2003(平成15)年 7月 名護営業所開設 名護営業所の外観
2004(平成16)年 10月 中部営業所開設 中部営業所の外観
2011(平成23)年 12月 那覇本社がおもろまちの新都心センタービルへ移転 おもろまちの新都心センタービルの外観

企業理念

「清掃道」

先達は云う

人の輪の広がり それ以上に
人が助けあう事が より大事である

また先達は云う

ダイケンのお仕事は「清掃業」ではなく
「清掃道」すなわち「道」ではないかと

「指標」

わたくし達は 常に創造の場で働くことが 出来ますように

わたくし達は 常に豊かな願望を抱いてくらしてゆくことが 出来ますように

わたくし達は 常に社会の委託に応えて仕事を進めてゆくことが 出来ますように

創業者の言葉

ダイケングループ創業者  故 丸橋 博行

丸橋博之の顔写真

私達の地道なサービスのお仕事は、汗を流すことによって成りたっており、平和への祈りと共に、汗水を流して働くことから、平和が支えられるということを基本的な考えとして行きたい。

昭和60年8月「社員の集い」にて

ご縁の深かった方の言葉

石川洋の顔写真

托鉢者 故 石川 洋

昭和47年11月、井伊文子先生の沖縄復興の願いを込めた「仏桑花の会」の事務局長として発足に際し、丸橋博行創業者等を沖縄に引率し、首里の家々のトイレ清掃を実践する。 沖縄ダイケン設立の発端をつくられ、創業以来、 社員教育での講演を多数行って頂いた。

つづいてこそ道。続けていけば本物になる。本物なら必ずつづく。

元琉球銀行頭取  崎間 晃 氏 近影

崎間晃氏の顔写真

沖縄ダイケンが堅実な経営基盤を築かれた所以は、「高度な管理技術」「高い経営理念」「次代を見通した経営視野の広さと深さ」にある。

沖縄ダイケン創立三十周年記念誌「拓道」より

元沖縄県知事  稲嶺 恵一 氏 近影

25周年記念社員集会に出席し、何かしらダイケンさんというのが分かったような気がします。
それは、「清掃道」という言葉でございました。

稲嶺恵一氏の顔写真

「空手に先手なし」という言葉がございます。
他の武術というのは全て先手必勝でございます。
つまり空手の心というのは本来は平和の心なのです。
その平和の心というものを沖縄ダイケンの皆さんは持っておられるのだと思います。

「道」というのは、精神・心でございます。
この「道」という心を大事にしておられる会社であります。

社誌「ともしび」第238号より